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創業コアストーリー第一弾

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いつもお世話になっております。
イノセル内野です。


今日から4週間新しい試みをしたいと
思います。


というのは、私の起業に至った恥ずかしい
「コアストーリー」
を公開しようというものです。


はっきり言うと、めっちゃくちゃ
自己満シリーズです。


どうしてこういう企画をしようと思ったか?
2つの目的があります。


1.お客様との距離を縮めたい

このストーリーをちゃんと読んでくれた人は
イノセルとのパートナーシップが
より強固になります。

そんな思いを紡ぐ仲間との出会いを作り
たいから


2.社員にもイノセルの源流を伝えたい

なぜ?この仕事をしているか?を理解している
営業はとても強い。売上を伸ばすためだけに動
いている人と、会社のミッションや使命を実現
するために営業をしている人。
後者の言葉の力は前者の比にならない。


私のコアストーリーを社員にも知ってもらい、
お客様に私の思いを伝えられるメンバーを
増やしたい

この2つの目的からです。

これから4週間、コアストーリーの
文字カウントをしてみたら、
約15000文字でした。

今日はその4分の1までお話しします。





【イノセルの代表内野のコアストーリー】



私は

営業

という仕事と、

DRM
(ダイレクトレスポンスマーケティング)

に出会わなければ犯罪者に
なっていたかもしれません。

親の愛情に飢えて、
自己肯定感を下げまくり、
いら立つ感情のはけ口を他人に求め、
人生を変えたいと必死で生きていながらも、
糸口が見つからず、
会社倒産、フリーター、転職4社を
26歳までに経験。

世の中からの見られ方は
侮蔑に満ちたもの。

でも、私は、いわゆる売り込みメインの
間違った営業ではなく、

「本質的な営業」



「中小企業が結果を出すためのDRM」

に出会ったことで、自分の人生のふたが
取れて、本来持っている
自身のエネルギーを大きく開放し、
人生を変えることが
できたのです。


地元の長崎の親から、上京するときに、


「犯罪だけは起こさんでね、
悪かことばすると新聞に名前載るとよ」

と最悪の言葉で母親から送り出された私が、



営業とDRM



の技術を体得した結果、、、


31歳で200人の会社の役員に就任

できたんです。



□トップセールス、トップマネージャー、
役員という華々しい結果を手にできた


私は 2017 年末まで、
ジェイックという会社
(現在東証グロース上場企業)
で執行役員となり、
200 名の会社の幹部メンバーとして、
15 年勤務していました。


ジェイック時代は、


・年間トップセールス

・年間MVT3度受賞

※20チームほどある中で
もっとも価値を創出した
チームに与えられる

・31歳で役員就任

・新卒紹介事業を立ち上げメイン事業へ
→2名からスタートし30名規模の事業に

・国家資格キャリアコンサルタントに合格

・PHP研究所が主催する
 コーチングで中級を取得

・1800名の就職・転職支援に成功

・400社の企業の採用コンサル


その後 2018 年2 月に起業。

・6年で従業員30名を抱えられる規模
にできました。



と、この経歴だけお伝えすると
順調な人生を歩んだ人間を想像される
かもしれません。



しかし、私はどうしようもない
落ちこぼれでした…。



ひどいレベルでした。



でもそんな人間でも人生を変えられる、
そしてそれは誰にでもできる
ということを伝えたい。

それが私の事業にかける強い思いです。


だから私の恥ずかしい過去を
赤裸々に語ります。

かなり長いですが
お付き合いください。




□落ちこぼれ


私は家族の落ちこぼれでした。
いろんな人からダメ人間の烙印を
押されました。

私は 25 歳で転職 3 回。
4 社の経験で、当時、いろんな人から、
ジョブホッパーだと思われてました。

だから、


起業なんて当時の自分からは
1ミリも想像できなかった


ここから私の転落人生を
ご紹介させていただきます。


人生が狂い始めたのは高校を卒業して
大学へ進学しなかったあたりからですかね。

99.5%が進学をする高校で大学に行かない
という選択は、ありえないものでした。

進学しないのは、

お金がなくて学費をねん出できない生徒か、
高校でドロップアウトしてしまった不良生徒、
学校の勉強についていけず学力が低い生徒。

こんな生徒だけです。


高校3年生の時は、
365日中300日に
補習授業があるようなガリ勉高校。

毎朝7時半から授業が始まり、
土曜日も授業がある。
そんなスパルタ進学校。

そんな中で、自分は勉強を放棄しました。

大学進学が当たり前のルートに
乗せられているのが、
ものすごく嫌でした。

大学にいったらOKみたいなスタンスの
教師や同級生を見て、
敷かれた受験のレールから逃げ出したのです。

そんな選択をした私を、
親は何度も考え直すよう説得を試みました。


でも説得されればされるほど、
私の意思は固まっていったのです。





□父親からの期待を裏切る


なぜ、そんな選択をするに至ったのか?
それは、父親や家庭環境との関係性が
影響しています。

私が住む町は、地元が⾧崎県諫早市という
田舎町。そんな町で父親は
マンモス小学校の校⾧でした。

だから父は町の超有名人なんですね。

だから、私の挙動は町中の人から
監視されているようなものでした
(と私が感じていただけかもしれませんが)。

たとえば、高校時代に茶髪にしたことが
あったんですね。微妙な茶髪です。
限りなく黒に近いこげ茶色です。

でもそんな茶髪でも誰かの口から親伝えに

「内野先生の息子さんが茶髪に
 したらしかばい(したらしい)」

みたいな噂が飛び交い、
翌日には父親から呼び出され、
雷の叱責、または鉄拳が飛んでくる。

「ひさし!! お前ば指導できんと
お父さんの顔の立たんやろが!!
(お前を指導できないと
 お父さんの顔が立たないだろ)」

こんな説教を食らう毎日。
私はこの説教が嫌だというよりも、
父親のメンツを守るために
叱られているというのが
たまらなく寂しかったんです。今思えば。

「俺をよくするために叱ってくれよ」

と本音では、いつも悲しさを感じて
いたんです。でもそんなこと
表現できません。

本心は、父親から認められたい、
もっと自分に関心を持って欲しかった。

親は、自分のために叱っていたのだと
思いますが、当時の私には言葉の
裏の気持ちを察する能力はありませんでした。

私が何か噂になるようなことをすると、
校⾧先生の父の体裁が壊れる。

そのために私は叱られる。

自分の人生をよくしていくために
指導されているのではなく、
父親の保身のために自分は怒られている。
感情をぶつけられている。

そのように受け止めていたんです。

もちろん、自分の言動や挙動で
父親に迷惑をかけていることは
恥ずかしかった。

しかし、私の言い分を全く
理解しようとしない父の姿勢に悲しさ、
寂しさの感情が常に渦巻く心理状態。

自分をもっと見てほしい、
自分をもっと承認してほしい。
自分を愛してほしい。

そんな思いの裏返しからか、
屈折した欲求が湧いてきました。



父親をもっと困らせて、
自分に注目を集めたいって気持ちです。  



そして、父が一番嫌がることは何だろう?

と考えるようになりました。

で、この父が一番嫌がることが、
「大学に進学しない」
という私の決断だったのです。

※この選択はサラリーマン時代、
転職活動をしていた時に、
すごく後悔しました。
今ではその事実も消化できましたが。

父親に執着していた自分に
気づいたのはだいぶ後に
なってからです。



【学んだこと】
この体験から今の私が学べることは、
子供の教育や部下の教育について。

初めに相手の成功のために、
愛情をもって情熱をもって懸命に
接点を持たれていれば...。

私のような屈折した
感情は生まれなかったと思います。



□転落人生の始まり

内野家は、親戚のほとんどが大卒。
しかも教師ばかり。

校⾧先生まで上り詰めた父親の息子が
大卒じゃないこと、
これは両親にとって受け入れがたい
事実だったのでしょう。

大学進学をしないという意思決定に、
全員からブチ切れられました。

東京から兄も引き戻され、
私を説得しにきました。

もめにもめました。
そこでプチ家出をしたくらいです。

で、結局親は私の考えを
翻すことはできず、

結局私は大学へ進学せず、
専門学校に進学します。

しかも、別にどうしても行きたかった
専門学校などではありません。

作文一つで合格できる専門学校。

要は受験から逃げたい気持ちも
強かったんだと思います。

作文一つで入学できる専門学校の友達は、
まあ、ちゃらんぽらんな奴ばかり。

自分も田舎で抑制されていた分、
めちゃくちゃ遊びまわりました。

学校は高田馬場にあったので、
毎日雀荘に入り浸り麻雀の日々。
毎日飲み会。合コン。

親と電話で話すときは、

「金をくれ」

ぐらい。

専門学校に 2 年通ったものの、
学校の先生もいい加減な人が多くて、
先生が学校に来ず、毎回、自習で
ビデオみたいな授業もありました。

マスコミ系へ進むための専門学校だったの
ですが、ふたを開けてみれば
その専門学校の卒業生の就職先は
80%がスーパーの店員。

※スーパーの店員さんが悪いわけでは
ないですが、マスコミ業界に行くために、
入学しているのに...って感じです。


学費 300 万円ほど払って
もらってスーパーの店員になる人が
周りにごろごろいる。

そんな人生になっても、
何の疑問も持たない人間も結構いました。

私は運がよく先生に気に入られて、
先生の知り合いの社⾧に紹介してもらって、
出版社に就職できたんです。




□先生の紹介なのに超絶ブラック企業に入社



ですが、その出版社は今思えば、
かなりブラック企業でした。

毎日深夜 1 時までの勤務。

先輩は新卒の自分に
何も教えてくれることはなく、
出版にかかわる実務に携わることはなく、
毎日、自転車でフィルムを届ける仕事ばかり。

毎日のように、
バカと 15 回くらい言われる職場。
馬鹿といわれ続けて、
本当に自分が頭が悪くなったような
感覚になりました。

とにかく人を育てる気持ちが
全くない会社。

社員の口癖は会社の愚痴や
他社員の文句ばかり。


そこで思ったこと、
社会ってひどいとこだなって。
めちゃくちゃつまんない世界だなぁ…と。

そんな会社でしたが、なんと6 カ月で倒産。
その倒産理由がまたやばい。


その会社が出版する雑誌の発行部数は
10 万部と聞いていました。

しかし、実際には、
5000 部しか発行していない
という事実。

これがスポンサーにばれて、
広告主が全部、一気に引き上げて
資金ショート。


スピード倒産です。


そのために若い自分から解雇されます。

しかも後でわかったのですが、私はそこで
正社員ではなく、なんと時給 800 円の
アルバイト雇用だったことを知ります。


この時、父親は息子が解雇されたことが
ショックで寝込んでしまったようです。

(今子供がいる立場で、同じことを子供に
されたら、本当にショックですね…。
当時を思い出すと本当に申し訳ないことを
しました)


....

来週火曜日メルマガに続く


長文お付き合いいただき、ありがとうございます!!来週ももっと落ちぶれていきますので
お楽しみに。
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