いつもお世話になっております。
イノセル内野です。
今日から~20日まで
個人的に夏休みをいただきます。
今年は家族皆で私の実家である、
長崎県諫早市に帰省をします。
父親が82歳。
母親が81歳。
年齢を考えると生きている間
にあと何回会えるのか?
と想像すると1年に1回に帰省
しなければ10回も対面
することはできない。
そう考えれば、両親たちとの時間
はとても貴重なものだと
実感します。
そんな中、
父がすっかり体を悪くしてしまって
います。
腰は昨年からどんどん曲がり、
歩くのも杖がないと歩けないし、
腰の痛みも併発しているので、
家の中の移動も1メートル歩くのに
2分かかるみたいな状態。
で、前立腺がんの後遺症もあり、
1年間で3~4回、入退院を
繰り返している父。
私が小学生の時、
筆箱をなくしただけで、
びんた、キック、夜の車庫に
閉じ込められる…。
当時のスパルタで強靭な父は
見る影もなく、すっかり弱って
しまっていました。
そんな父親が7月にまた具合を
悪くし入院をしてしまいました。
もしかしたら帰省しても
会えないかもしれない...。
しかし、
父は、今回の私たち家族の帰省を
相当楽しみにしていたらしく、
私たちが帰省する8月15日
~8月20日に向けて、
「絶対に元気になる」
と決意したらしく、
驚異的な復活で8月1週目に
退院をし、車の運転ができる
まで体調を回復させたとのこと。
人は願望をもち、決意すると
強いですね。
今年の夏は子供たちと、
親父と母親にしっかりと思い出
をつくれる素敵な夏に
しようと思いました。
さて、今日の話は、
ご先祖に感謝をしよう
という話です。
本日は終戦記念日。
終戦後、78年。
先日靖国神社へ行きました。
そこには、特攻隊として戦争で
亡くなられた方達の写真と
遺書が無数に飾られ
ています。
その遺書を読むたびに
涙が込み上げてきます。
1920年代に生まれた方達は、
戦争で100万人以上が亡くなって
います。
その中でも特攻隊の方たちの
死は特に心が痛みます。
亡くなった方には
当時、学生や20代も多く、
これからの日本を担うであろう
未来ある人たちが国のために
自らの命を投げ打ち
最後まで闘った。
当時の時代は、
欧米列強の侵攻が進み、
アジアでは日本以外の国が
植民地化されていました。
最後の砦として
日本は戦ったという側面も
あるんです。
そして日本は開戦当初から
負け戦が見えていました。
でも自分たちの誇り、
国の誇り、子孫やアジアのために
武士道の精神で闘い抜いた。
誇らしい国のままでありたい、
我々子孫のためにもっといい国
にするために、ここは戦わねば
ならない。
そんな大義と利他の思いで命を
捧げた方がたくさん
いらっしゃったのです。
その心意気がアジア諸国にも
伝わり植民地だった国々が
次々と独立することにつながった
んです。
日本の精神はアジアに
大きな影響を与えたんだと
思います。
実際インドやタイ、などをはじめ
とするアジア諸国は日本に感謝し、
尊敬している人たちがとても多い。
日本に助けられた国もたくさん
あるんです。
特攻隊のように必ず死に至る
命令がもし今下ったとして、
自分の命を大義のために、
捨てられるでしょうか?
私は絶対無理です。
でもその葛藤を乗り越え、
使命を全うしたご先祖様がいる。
そのご先祖様がいなければ
今の平和な日本は存在して
いないんです。
今の日本があるのは、
わずか80年前に、
私たち子孫のために戦い抜き、
愛と強さ、誇りをもち、
亡くなっていった先輩方の
おかげ。
感謝と尊敬の念を抱かずに
はいられません。
今日はご先祖様のために
感謝の祈りとその受けた恩を
返すために、より良い社会に
していく決意を持ち、メルマガを
終えたいと思います。
追伸:
特攻隊のことを詳しく知りたい
と思った方は、
ぜひ靖国神社の遊就館、
いってみてください。
しっかり読み込みたいなら
5時間ほど時間を空けて
行くことをオススメします
https://03auto.biz/clk/archives/nygrlg.html?s=****&u=****
イノセル内野です。
今日から~20日まで
個人的に夏休みをいただきます。
今年は家族皆で私の実家である、
長崎県諫早市に帰省をします。
父親が82歳。
母親が81歳。
年齢を考えると生きている間
にあと何回会えるのか?
と想像すると1年に1回に帰省
しなければ10回も対面
することはできない。
そう考えれば、両親たちとの時間
はとても貴重なものだと
実感します。
そんな中、
父がすっかり体を悪くしてしまって
います。
腰は昨年からどんどん曲がり、
歩くのも杖がないと歩けないし、
腰の痛みも併発しているので、
家の中の移動も1メートル歩くのに
2分かかるみたいな状態。
で、前立腺がんの後遺症もあり、
1年間で3~4回、入退院を
繰り返している父。
私が小学生の時、
筆箱をなくしただけで、
びんた、キック、夜の車庫に
閉じ込められる…。
当時のスパルタで強靭な父は
見る影もなく、すっかり弱って
しまっていました。
そんな父親が7月にまた具合を
悪くし入院をしてしまいました。
もしかしたら帰省しても
会えないかもしれない...。
しかし、
父は、今回の私たち家族の帰省を
相当楽しみにしていたらしく、
私たちが帰省する8月15日
~8月20日に向けて、
「絶対に元気になる」
と決意したらしく、
驚異的な復活で8月1週目に
退院をし、車の運転ができる
まで体調を回復させたとのこと。
人は願望をもち、決意すると
強いですね。
今年の夏は子供たちと、
親父と母親にしっかりと思い出
をつくれる素敵な夏に
しようと思いました。
さて、今日の話は、
ご先祖に感謝をしよう
という話です。
本日は終戦記念日。
終戦後、78年。
先日靖国神社へ行きました。
そこには、特攻隊として戦争で
亡くなられた方達の写真と
遺書が無数に飾られ
ています。
その遺書を読むたびに
涙が込み上げてきます。
1920年代に生まれた方達は、
戦争で100万人以上が亡くなって
います。
その中でも特攻隊の方たちの
死は特に心が痛みます。
亡くなった方には
当時、学生や20代も多く、
これからの日本を担うであろう
未来ある人たちが国のために
自らの命を投げ打ち
最後まで闘った。
当時の時代は、
欧米列強の侵攻が進み、
アジアでは日本以外の国が
植民地化されていました。
最後の砦として
日本は戦ったという側面も
あるんです。
そして日本は開戦当初から
負け戦が見えていました。
でも自分たちの誇り、
国の誇り、子孫やアジアのために
武士道の精神で闘い抜いた。
誇らしい国のままでありたい、
我々子孫のためにもっといい国
にするために、ここは戦わねば
ならない。
そんな大義と利他の思いで命を
捧げた方がたくさん
いらっしゃったのです。
その心意気がアジア諸国にも
伝わり植民地だった国々が
次々と独立することにつながった
んです。
日本の精神はアジアに
大きな影響を与えたんだと
思います。
実際インドやタイ、などをはじめ
とするアジア諸国は日本に感謝し、
尊敬している人たちがとても多い。
日本に助けられた国もたくさん
あるんです。
特攻隊のように必ず死に至る
命令がもし今下ったとして、
自分の命を大義のために、
捨てられるでしょうか?
私は絶対無理です。
でもその葛藤を乗り越え、
使命を全うしたご先祖様がいる。
そのご先祖様がいなければ
今の平和な日本は存在して
いないんです。
今の日本があるのは、
わずか80年前に、
私たち子孫のために戦い抜き、
愛と強さ、誇りをもち、
亡くなっていった先輩方の
おかげ。
感謝と尊敬の念を抱かずに
はいられません。
今日はご先祖様のために
感謝の祈りとその受けた恩を
返すために、より良い社会に
していく決意を持ち、メルマガを
終えたいと思います。
追伸:
特攻隊のことを詳しく知りたい
と思った方は、
ぜひ靖国神社の遊就館、
いってみてください。
しっかり読み込みたいなら
5時間ほど時間を空けて
行くことをオススメします
https://03auto.biz/clk/archives/nygrlg.html?s=****&u=****